何事も想像力が必要、特に家を建てるときは全方位で
建築関係の人のいい加減っぷりが目立つニュースが多いです。例の高槻の小学校の塀なんてまさにそうで、違法か適法かとか検査がどうのこうのをすっ飛ばして「誰が見ても危ない」ってのは想像できないのでしょうか。
テコの原理を考えれば、1.6メートルのブロックを支えなしに積んだら根本にはどれだけ力がかかるかわかるはず。まして、子供が集団で寄りかかることも容易に想定される場所です。どんな頑丈に施工したとしても鉄筋が入っていても、どこかに力がかかって折れるため、かなり危険な状態であることは想像できたはずです。
そこをハンマーで叩いて「安全」とは、いったいなんでしょう。ましてや教育機関であり、算数や理科を教えている先生ばかりの小学校で、ブロックの風化や力のかかり具合について想像はできなかったのでしょうか。
近年、ルールさえ守っていれば良いという風潮があります。ルールはこれだけ守っていればいいというものではく、どちらかというと、狙いや目的に向かうための最低限の基準です。法律も最初のところにその狙いや目的が書いてあるはずで、あとのほうや別途省令で定める具体的数値だけ守っていれば、前のほうに書いてある法律の狙いに反していいわけではないはずです。
そして、法律というものは頻繁に改定されます。それは、法律は不完全で現実を後追いしていることの証明であり、ならば法律だけ守っていればよい、とはならないはずです。
もし、家を建てるときは法令に注意することはもちろんですが、本来の目的にてらしあわせてギリギリの解釈を避けたほうがいいでしょう。
そのような例としては、このブログでも壁の中の保護管としてCD管を使用することについて言及しています。
このほかにも、土地境界と壁の位置関係を規定ぎりぎりにして起こる近隣トラブルや、トラブルとは言えないまでも、落ち着かない生活を送るハメになることもあります。これはCD管と違って修復が極めて困難です。設計士のなかには全く想像力を働かせず、効率と称してただギリギリばかり攻める人もいるようです。
設計士は法律にのっとって施工、引き渡したらもう手離れです。その後に発生するトラブルを背負うのは施主です。設計士任せにせず、施主が想像力を働かせて本当に注意したいです。
法令だけに沿って考えるのはいい加減やめてほしいものです。