電力逼迫について私見

とうとう電力逼迫が言われるようになりました。原子力発電所というベース電力がなく、本来なら供給量調整のための火力発電所をフル活用しすぎて10年たった結果だということも言えると思います。

実際、2011年より前は電力についてもCO2削減が叫ばれていたのに、震災以降、原発憎しもあってか火力発電の環境への影響は目をつむるようになっていました。これだけ時間がたった今、改めて長期的なことを考えるべきだと思います。

供給側の問題はエンドユーザーではどうにもならないとしても、電力逼迫しているのなら、それに対応した行動をとりたいものです。この事態が国の失策のように言って何もしないこと良しとする風潮もあるようですが、電力逼迫すれば、電力市場が高騰し、固定メニューであってもじわじわと値上げされ、結果的に損をするのは自分たちです。

仮に国の失策だったとしても、官僚も政治家も直接「責任」はとりません。「責任」といっても彼らがやめたり人事的に降格になったりしたところで、エンドユーザーが被った不利益は彼らから補てんされるわけでもないからです。

では、具体的にどうしたらよいか。それは、やはり科学的な節電です。単純に減らすのではなく、逼迫状況に合わせて効果的な節電をすべきでしょう。そのためには、ピークカットをするような使い方などです。

そうなると蓄電池が有利になりそうに思いますが、電気の使い方を変えずに、蓄電池でごまかすのは賛成できません。たとえば、電気で湯沸かしならば太陽光発電量が多い時間帯に行うことや、逆に電気を使わないシステム、たとえば、太陽光の活用ならば、太陽光の熱で直接お湯を作るようなシステムもいいでしょう。これらは天気予報の進化でより効率を高める可能性があります。

また、エネルギー消費を多くを占める空調についても、節電すべく家の構造を変えていくべきでしょう。机上の空論だけでなく、家の立地や構造、広さ、部屋のかたち、空調機の利用のほか、部分的なヒーターやクーラー、衣類などの工夫もそうです。

エアコンの効率をどれだけ上げても、熱量移動をしている過ぎず、冷房なら涼しくしたぶんは熱となって排出されることに違いはありません。効率を上げれば多少は熱移動のための部分の熱は減りますが、移動される熱に変化はありませんので、もともと熱を出さないことを考えなければ地球の温暖化は避けられないでしょう。

照明にしても、昼間から電灯を付けなければならないような部屋や事務所をなくすなど、無駄を極力排除したいところです。

ちなみに電気自動車ですが、充電池を持っていることから、太陽光発電などを効率的に使うことで需給調整に活用することができます。そもそも、道路上で熱を出しにくい乗り物であるため、電力を作る段階さえ効率を上げれば、従来の化石燃料車よりも地上空間における気温上昇を和らげられる可能性を秘めていると言えます。

排出されるCO2にしても太陽光なら発電時の排出なし。発電所の電気を使う場合でも、無数のクルマから別々にCO2が排出されるよりも、発電所側でまとまるため、CO2の処理がしやすくなります。

いまあるもの、これから進化するものをうまく組み合わあせて、そもそも熱を出さないことや、電気を使わないことなど、全体で効率的なことができるよう、考えるべきではないでしょうか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください